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おひとり様

 冬場になると、無性におでんが食べたくなる。

 それも、日本酒をちびちちぼ飲みながら、食べるのが一番だと思う。酒は、剣菱くらいで、冷で飲むのがいい。おでんの具も、厚揚げ、卵、ウインナーがあれば、それでいい。

 僕は、いわゆるグルメ志向ではないので、どこどこの店の何がおいしいと聞いて、その店に行くほどではない。だから、グルメを扱った大袈裟な番組や雑誌などは、殆どと言ってもいいくらい見ない。

 要は、口に入っておなかがいっぱいになったら、僕は、それでいいのである。例えば、ラーメンに800円も払うくらいなら、袋のインスタントラーメンを食べればそれでいい。そっちの方が、僕にとって安上がりだしおいしいからである。

 炒飯も、自分で作れるから店で食べる必要はない。自炊をしている分、野菜炒めとか、鍋とか、大方の料理は、調理できるから満足している。他人が僕の作った分を食べて、おいしいと思うかどうかは別だけれども。

 ただ、焼き鳥などは店に行って食べる。焼肉は誰かと一緒なら食べに行く。一人で、焼肉を食べに行くほど寂しいものはない。それと同じ理由で一人カラオケもやらない。焼肉などは、皆でワイワイ食べるのがおいしい。カラオケも同様である。

 大抵は、おひとりさまでも、居酒屋や立ち飲み屋などよく行っていた。一人で、飲んでいた方が気楽である。人と飲むのは気を遣う。相手のペースに合わせないといけないと考えると、憂鬱になる。

 それならば、一人で自分のペースで飲みながら、時間を過ごすほうがいい。たまには、大人数で飲み会があれば参加するけれど、なぜか居心地が悪い。なので、そこは、割り切って、自分のペースで飲んでいくことにしていた。

 タバコもやめれたけれど、タバコを吸っているときは、吸わない相手と一緒にいるときには、我慢していたものだ。食後の一服をしたいのに、そういう時に限って、相手の食べるペースが遅かったりするものだから、食べ終わるまで待つという苦行に耐えなければならなかった。

 今は、そんなことはないけれど、それでも、食後にはタバコを吸いたくなる衝動が襲ってくる。それと、寝起きの一本が欲しい。それでも、何とか我慢出来ている。まあ、僕は食べるのが早い。みんなが驚くほどである。良く、親からはよく噛んで食べなさいと言われたが、結局、飲み込むような食べ方になってしまっている。なくて七癖ともいうが、この癖だけは治らない。だから、僕は、グルメ志向とは反対の位置にいるのである。

 それに、流行に踊らされたくないという天邪鬼な点がある。しかし、こうしてエッセイを書いていると、ある程度、流行には敏感にならないといけないと考えている。難しい問題だけれど、面白いエッセイを書くためには必要な通過儀礼である。
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自業自得

 今の派遣先で働くのは来月いっぱいで終了することとなった。

 3か月ごとに更新するのだけれども、1月から更新しない旨を派遣会社から連絡があった。平たく言えば、クビである。理由としては、休みが多かったことである。先々月には、うつ状態で10日間くらい休みがあり、今月の初めには肺炎と喘息性気管支炎を患って入院して2週間も休んだからである。

 結局は、自業自得である。思いもしなかった入院や自宅療養を招いた結果である。まぁ、角度を変えると、仕事に煮詰まっていたので、いい機会だと捉えていきたいと考えている。一日でも早く、次の派遣先を決めなければならない。

 自己管理が出来ていないのは社会人として失格である。だから、まわりまわって自分の元に戻ってくる。今回のことも、自己管理が出来ていれば防げたはずである。人生にはたらればはない。現実は、そんなに甘くはない。

 厳しい結果を突き付けられて戸惑うことばかりである。それでも、その事実を受けとめていかないといかない。気持ちを切り替えていきたい。そうは言っても、簡単にはいかないだろう。

 今は、まだ実感がわかない。それでも、毎日ちくたくと時が刻まれている。立ち止まっている場合ではない。前に進むしかない。これから先も前向きに考えていきたいと思っている。

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いつの時代も

 結果には、必ず、そこに至るまでの原因が潜んでいる。

 どうして、このような結果になったのか?と疑問に思うことがあるだろう。例えば、いい結果がでたり、悪い結果がでたりすることがある。どちらも、重要な問題である。

 いい結果ならば、どのようにしてその結果がでたのかを突き詰めて、更に、いい結果を呼び込むようにしていくことができる。逆に、悪い結果がでたのならば、過程を検証していくことが必要であり、それを踏まえて次へと繋げていくことが重要である。

 誰しもが、成功や失敗の繰り返しをしている。僕も同じようなものだ。成功よりも失敗の数が多い。その度に、どうすればいいのかを考えている。しかし、同じようなミスをしている。

 二度も同じミスをすると、その都度、同じ過ちを繰り返さないようにと心に固く誓うが、それでもミスをしてしまう。三度目や四度目にして、ようやくミスをしなくなるようになる。それは、僕にとっては成長していると言える。

 成長といえば、子供について考えることがある。僕には、一人息子がいるけれども、僕とは違い、勉強もできてスポーツもできる。まぁ、僕は、スポーツだけはできていたけれども。学校の勉強はさっぱりであった。

 もう、高校三年生である。今でも、瞼を閉じれば赤ん坊の頃を思いだす。いつまでたっても、子供は子供のままである。彼が成長して大人になったとしても、多分、子供の頃を思い浮かべることだろう。

 そう考えれば、僕も、両親から見れば、いつまでたっても、子供の頃を想起させているのだろう。そう、考えれば、未来永劫、その連鎖が続いていくことだろう。

 そう考えると、人生は面白いものだよね。だからこそ、失敗や成功を繰り返していきながら、生きていくものなんだよな。

 いつの時代も運命というのは親から子へと受け継がれていくものだよね。

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初志貫徹

 人生いろいろ、悲喜こもごもである。

 生きていれば、辛いことや苦しいことが襲ってくる。しかし、反対に、嬉しいことや楽しいことも起きる。闇がなければ光の存在が感じることが出来ない。喩え、今、辛いことや苦しいことがあっても、必ず、いつの日か困難な状況から脱出することが出来る。

 先ほどにも述べたように、闇がなければ光の存在を感じることが出来ないということであるが、それと、同じように辛いことや苦しいことを経験してみないと、嬉しいことや楽しいことも感じることが出来ない。

 人生を楽しむということは、辛いことや苦しいこともひっくるめて考えていかなといけない。だから、辛いことや苦しいことばかりでなく、同時多発的に、嬉しいことや楽しいことも起こり得る。

 そのバランスが崩れているからこそ、人は苦しむのである。一歩引いて俯瞰で物事を冷静に見ると、自分自身の視野が狭まっていることに気が付く。人間関係に至っては、相手あってのことだから、ある意味、開き直るしかない。

 ボタンの掛け違いが起こるのは、生きていくうえでは避けて通れない道である。だから、先述したとおりに、いい意味で開き直るしかない。しかし、相手のことを軽んじるわけではなく、尊重しながら生きていくしかあるまい。

 いい加減という言葉は、悪い意味ではなく、良い加減と言い換えることが出来る。そこに秘められた思いとしては、ちょうど、いい塩梅で物事を進めていくことである。だから、僕は、良い加減を実践している。

 それでも、悩むときは悩む。それは仕方のないことである。生きていくうえで、一人だけでは生きていけないのだから。なので、他人と関わりあうことによって、刺激を受ける場合もあるし、落ち込む場合もある。

 そんなこと繰り返しながら生きている。常に、自分のベストを尽くしていきたい。それでも、認められなければ仕方がないと思っている。常に、相手の顔色をうかがいながら、仕事をするのは本意ではない。

 だからこそ、僕は、プロのエッセイストになりたい。初志貫徹で頑張って行きたい。そのための努力は惜しまないつもりである。もっと、今以上のクオリティを仕上げていきたい。さて、頑張って行こう。

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勝負の年

 2025年の万博が大阪に決まった。

 1970年に開催された大阪万博は、僕の同級生が産まれた歳である。僕自身は、1971年生まれなので、関係はないのだけれども、同級生の名前には、万博にちなんだ漢字を使っていることが多かった。

 だから、再度、大阪の万博が決まったことには、何かしら感慨深いものがある。万博が開催されたら、一度、足を運んでいきたいと思っている。一体、どういったものになるのかもわからないけれども、楽しめるようなパビリオンが出来たらいいのにと思う。

 その前に開催される東京オリンピックにも行ってみたい。アスリートたちの真剣な戦いを見てみたい。どういった試合が展開されるのかを固唾をのんで見守っていきたい。そのころには、プロのエッセイストで活躍していきたい。

 そのためには、今以上の努力が必要である。どんなに、精神的や肉体的に疲れていても、エッセイを書き続けたいと思っている。その結果、プロとして生活が出来るようになっていたい。

 基本的には、一人で仕事をする。人間関係に悩むこともない。しかし、仕事を進めていくには、担当の編集者がいたりして、本当に一人きりというのは少ない。それでも、好きなものを仕事にしていけることはありがたい。

 だから、毎日、エッセイを書き続けていくことを、自分に課している。そして、必ず、結果を出していきたいと思っている。今以上の実力を上げていきたい。それが、今後の課題である。

 努力を続ければ、その努力は必ず報われると信じて書いていきたい。そうでもないと、毎日書き続けることは出来ない。僕の得意分野である文章を書くことで生活を送れることを信じて書き続けていきたい。

 来年は勝負の年と捉えている。実際に、エッセイ集を販売するので、口コミで面白いということが広まり、販売部数を伸ばしていきたい。それを現実化するのには、自分を信じていき、自分にしか書けないようなエッセイを提供していきたい。

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負けるもんか

 負けるもんかと思っている。

 仕事でもプライベートでも、自分自身に負けたくない。生きていくうえで人間関係は避けては通れない問題である。人から言われることを真摯に受け止めて行動をしていくしかない。

 たった一つのボタンの掛け違いで救われないこともある。原因があるのは僕ならば仕方がない。その結果を受け入れるしかない。張り裂けそうな思いを抱いていている。もっと、気楽になれればいいのだけれども、それが出来ないでいる。

 自分でも思うのだけれども、もっと視野を広げないといけない。僕の傾向としては、こうしなければならないと思ったら融通が利かなくなる。思い込みが激しいのが玉に瑕である。

 柔軟な発想が出来ていないのが辛い。こうして、エッセイを書くにしても、心のどこかで、こうしなければならないと考えている自分がいる。もっと、頭を柔らかくしなければならない。

 分かってはいるものの、それを克服することが出来ていないのである。気を利かしたつもりでも、相手には伝わっていないのが現状である。ある意味、寂しい気持ちもある。しかし、相手の思うことを全部こなしきれていないのが現状である。

 それでも、負けるもんかと思いながら生きている。相手に対して委縮することなくやっていきたい。僕がいつも正しい場合ではないことがある。それでも、相手がすべて正しいということもないと思う。

 要するに、相手との関係性はフィフティフィフティである。そのことを把握していきながら、自分が悪い場合は素直に認めていく。相手も良かれと思ってアドバイスをしてくれているのは理解できる。

 僕が犯したミスを、根掘り葉掘り聞かれると、多少、うんざりすることもある。良かれと思ってしたことが過ちならば、いっそのこと、何もしない方がいいのではないのかと思ってしまう。

 そのことがきっかけで、話がかみ合わない場合がある。そういう時には、相手のことを尊重しながらやっている。それでも、受け入れられることが出来なかったら、僕としてはなす術がない。

 だから、これ以上深入りするのはやめて、表面上だけの付き合いをしていくしかないと思っている。僕の意見を言うことなく、相手の発言を受け止めながらやっていくしかあるまい。最後に、もう一度言うが、こんなことで負けたくない。ただ、それだけである。

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足掛かりにして

 肺炎と喘息性気管支炎を患って考え方が変わった。

 主に、仕事に関しての考え方が変わった。このままでいいのかという思いを抱いている。毎日残業をして、会社に12時間拘束されて、夜勤もあるし、体力的に辛いと感じている。転職を考えるとしても、アパートかハイツに住まないといけない。今は寮に住んでいて家賃もかからないし、電気代だけなので、それはいいところである。

 とりあえずは、年明けにバイクを購入する。そして、転職を考えた場合、賃貸住宅を借りなければならないので、敷金や礼金を考えると貯蓄をしないといけない。最低でも、1年間はかかる。それを考えると、年齢の問題がかかってくる。

 一番、良いのはプロのエッセイストになることである。そのために、来年の10月にはエッセイ集を出版する。これを足掛かりにして、プロの道へと歩みたいものである。とにかく、結果を出さないといけないので、発売するエッセイ集が売れるようにしていきたい。

 それを可能にするためには、毎日、エッセイを書き続けることである。どんなに、短くてもいいから、書いていくことが重要である。当然、面白いエッセイを書くのは大前提である。だから、独自の視点で書いていくことが大切である。

 それから、時事ネタも取り入れていきたい。僕にとっては大切なところである。そこを膨らませることによって、さらに、面白いエッセイを書けることだろう。これからは、それを重点的に書いていきたいと考えている。

 毎日、書き続けている、このブログもエッセイとしてとらえている。そうすることによって、僕の文章力が上がればいいと思っている。毎日、書き続けるのは、正直に言うと辛いことがある。

 特に、今の仕事をしているのならば、エッセイを書くのは至難の業である。それでも、頑張って書いている。常に、成長するためには、必要な登竜門である。だから、どんなことがあっても、エッセイを書き続けていきたい。必ず、プロのエッセイストになりたいものである。

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もう一度

 もう一度、燃えるような恋をしてみたいと思ってみたりもする。

 しかし、50を目前にして、そんな相手はいないと考えたりする。何もかも忘れ去られるような恋をすることは、正直に言って難しい。別れた妻との想い出が、まだ残っている。さんざん迷惑をかけたので、僕には恋をする資格はないと思っていたりもする。

 そうは言っても恋をしたい。どうすれば、このジレンマを解消できるのか、僕にはわからない。恋をするというのは感情の問題であるから厄介である。この複雑な問題を解決する方法は思いつかない。

 誰かに、ときめくといったこともない。すべてをなげうっていてもいいからといった相手には出会っていない。どうにかしないといけないと考えてはみるものの、僕の募る想いを吐き出してみたい。

 こうした感情を抱くのは、煮詰まって仕方がない。こうなったら手探りでいくしかないのかもしれないと思ったりもする。これじゃあまるでピエロのようなものである。一体全体、僕はどうしたらいいのかすら見失っている。

 張り裂けそうな感情を抱いている。だから、もっと二人で気軽に遊びに行く相手をみつけたい。ほんのちょっとロマンネスを求めたい。嘘でもいいからハッピーな感情を抱きたい。

 ぎくしゃくしながらでも、恋をしてみたいと思う。とってつけたような感情を抱きながら、僕は生きていくのである。まるで、恋に恋をする女学生のようなものである。理想ばかりが高くなってしまう。

 うかつには動けない。その時になれば、恋愛感情を抱くはずである。だから、手も出せないでいる。チャンスが到来するのには、運が必要である。やはり、自分から手さぐりをしながら、恋をするチャンスを狙っているのである。

 いつまでもこのままじゃいけない。自分から動かないと恋をすることを出来ないでいる。まだ、間に合うかもしれない。チャンスが到来するのかもしれない。間違ってもうろたえたりしないようにしないといけない。

 恋をすることは、ダメージを受けることもあるだろう。ストレートに感情を伝えることが出来ないでいるのかもしれない。まるで、身勝手な言い方だろうけれども、見え透いたやせ我慢するのである。

 自分が思い描いたイメージを壊したくはない。今の僕には時間が必要である。誰にだって思い悩むことがあるだろう。無理に笑顔を出さなくてもいい相手がいるのが理想である。まだまだ、燃え上がるような恋をするのには、時間が早いのかもしれない。

 ままならない時間だけがいたずらに過ぎていく。その事実を感じながら生きていくしかない。誰のせいでもない。もっと、自分自身を変えていく必要がある。感じるままに過ごしていきたいと考えている。ありのままの僕を受け入れていく女性を求めているのが正直なところである。

 だから、頑張って恋をしてみたいと思う。いくつになっても、そういった感情を抱きたいものである。
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高みを目指していきたい

 大抵、文章を書く時には、お気に入りの音楽を聴くことが多い。

 お気に入りの音楽は、高校時代に聴いていたバービーボーイズだったり、少し前の福山雅治だったりしている。音楽を聴くことによって、自分の中にあるものがインスパイアされて、非常にいいエッセイを書けることが出来る。

 だから、何を書いていいのか分からないことがあれば、お気に入りの音楽を聴くようにしている。そしたら、歌詞からあるキーワードが思い浮かび、それに感化されて、書けるようになる。

 それでも、たまにスランプに陥るときがある。そういった場合、書くのをいったんやめて、中島らもやさくらももこのエッセイを読んでいく。そうすることによって、視野が広がり、エッセイを書くことが出来る。

 いかに、自分らしさを前面に押し出せていくのかが、今後の課題である。実際の僕を知っている人を除いて、エッセイを通して、僕という存在を知ってもらいたいものである。親近感がわくようなエッセイを書いていきたいものである。

 そして、エッセイ集が売れるようなものを書いていきたい。簡単にはいかないけれども、編集者とブラッシュアップをしていき、完成度の高いエッセイを提供していければと思っている。

 あと、自分に課しているのは、必ず、毎日エッセイを書くことである。今、出せる自分の力を最大限に引き出していきながら、少しずつでもいいから成長をしていきたい。常に、パフォーマンスを引き上げることが重要である。

 誰にも邪魔されることのないようにしていきたい。そして、自分の時間を確保していき、エッセイに対して集中できるような環境を作っていく。例えば、お気に入りの音楽を聴きながらエッセイを書いていく。そうすることによって、歌詞にインスパイアされて、筆が進むのである。

 そうすれば、音楽を聴かずにエッセイを書くと、平均して2~3時間かかるところが、わずか、1時間以内に書けるのである。早く書けるだけではなくて内容も充実している。いいとずくめである。

 まぁ、お気に入りの音楽や中島らもやさくらももこのエッセイを読んでも書けないときがある。そういった時には、頭の中を真っ白にして、自分の中でキーワードを模索していき、それに感化されて書けるので、緩急をつけて書いている。

 エッセイを書くのは、一生の仕事としてやっていきたい。常に、高みを目指してエッセイを書いていけば、いつの日か、誰かの目に留まるのかもしれない。そうすれば、プロのエッセイストとして活躍していきたいのが、僕の目標である。
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忘れないように

 久しぶりに実家へ帰った。

 行きの電車の中で、思わず眠ってしまった。目覚めたら、ここはどこ?といった感覚に陥り、とりあえず、いったん下車してから、再度、確認したら、なんと、そこは、神戸の三宮から、まだ東のところである。

 やはり、疲れていたのか、行きでも眠ったのに、帰りの電車でも、また、眠ってしまった。寮からの最寄り駅は、最終到着地なので、乗り過ごす心配はないので、その気のゆるみもあったのかもしれないけれど、駅員に起こされるまで、深い眠りの中にいた。

 半日は、ほとんど寝て過ごしたことになる。貴重な休日を寝て過ごしてしまうのは、本当に、トホホな気分である。こういったことを考えると、やはり、バイクに乗って、一日を過ごしたい。

 頭の中は、今では、すっかりバイクのことしか頭にないのが現実である。焦っても仕方がないけれども、はやる気持ちは抑えられない。思わず、当たりもしない、宝くじを買ってしまう。

 まぁ、年内には購入できないのだけれども、年明けには、必ず手に入るので、ここは、落ち着いて頑張って仕事に精進していきたい。また、明日から仕事だけれども、頑張っていきたいと思う。

 あとは、エッセイの書下ろしをしていかなければならない。来年は、色々なことが待っている。バイクの購入やエッセイ集の販売などを予定している。そこで、結果を出していきたい。

 エッセイ集の販売だけでは満足することなく、売れるようなエッセイ集にしていきたい。そのためには、僕だけしか書けないエッセイを書いていきたい。他人と比較しても、遜色のないようなものを仕上げていきたい。

 決して、下を見ることなく前を見据えながら頑張っていきたい。着実に前へと進んでいくことが重要である。努力をすることを忘れないようにやっていきたい。
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