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誇りを持つ

 どんな仕事でも誇りをもつことは大切である。

 恥ずかしい話だが、ようやく、この年になって、仕事に対して誇りを持てるようなものに出会えた。それまでは、迷い続けながら生きてきた。某運輸会社の営業事務をやっていたときには、誇りを持って仕事をしていた。

 ところが、自分の不徳により、退職せざるを得なかった。その後、躁鬱病になり、仕事をすることすら難しい時期が続いた。その影響があり、働いてはいても、正直に言えば、誇りなんてものは持てなかった。ただ、生活が出来ればいいやと、甘い考えで仕事に取り組んでいた。

 今から、考えると顔から火が出るような恥ずかしい話だ。しかしながら、様々な仕事をしていく上で、ようやく、今の仕事に対して誇りが持てるようになったのである。だから、仕事に対して真摯な姿勢を持つことが出来て、謙虚な対応も出来るようになった。

 なので、自分自身に対して厳しくもなれる。その反面、良い加減な態度で仕事に取り組んでいる同僚を見ていると、昔の自分を見ているみたいで、悔しさが募るばかりである。まぁ、その仕事に向き不向きがあるのだから、早めに判断して退職をして、自分に向いている仕事を見つければいいのにと思うときもある。

 余計なお節介だとは自分でも思う。ただ、僕から言えば角が立つので、上司に自分が感じていることを伝えて、上司から言ってくれる環境を作って行くのが、僕の役割だと思っている。自分の役割が明確になれば、後は、今後の自分自身が描いているビジョンに対して最短距離で道を進むことが出来る。

 将来的には、今の仕事をしていく上で、僕は管理職になりたいと思っているので、その為には、現在、何をすればいいのかが自分自身で判断が出来て、尚且つ、上司に対して何が足りていないのかを話し合いながら、フィードバックをしていくことが出来るので、僕にとってはやりやすい環境だと感じている。

 そして、この先、定年退職した後には、現在の仕事を応用していきながら、エッセイを書いたりしていきたい。出来るだけ、分かりやすい表現をしていきながら、面白いものを提供していきたい。それをするためには、今の仕事を精一杯することが重要である。そこから、得たものを自分自身に対してフィードバックをするかのようにしていき、今後の来し方を考えていきたい。

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言葉の力

 視点を変えるということは大事である。

 分かりやすく言うと、少し角度を変えるだけで、まるで目の前に霧が消えるかのように、問題を解決できる。よく、言われるのが、ボトルに入っているドリンクが半分の状態であるとする。そこで、後、半分も残っているという認識と、もう、半分しか残っていないといった具合である。

 ここにおいて、重要なのは、半分も残っているのと、半分しか残っていないといった状態である。どちらとも、ドリンクは半分残っているということは事実である。それでは、どちらがいい印象を持つのかという観点で考えると、個人的な見解ではあるが、半分も残っているということに関して、いささかの希望を持てる。

 働いていれば、辛いことや苦しいこともあるだろう。そういった状態に陥った場合は、どれだけ、前向きな言葉に置き換えることが出来るのかを、常に考えていれば、ひょっとしたら、解決できる問題になるかもしれない。

 この事例を参考にしてみると、やはり、視点を変えることは大事である。そして、そのことによって、言葉の力は偉大であるということもある。こういったことを鑑みると、常に、前向きな言葉を使って、少しだけ視点をずらしておくことは大事だということがわかる。

 こういったことを意識していけば、目の前に立ちふさぐ壁が現れたとしても、視点を変えることによって解決策が見つかる。且つ、前向きな言葉を武器にしていけば、困難だと思われた、壁を楽々とクリア出来たりする。

 もし、過去にさかのぼれるのならば、僕は、35歳の自分に対して、もう少し、視点を変えることが出来たり、言葉の力は偉大であるということを伝えたい。ひょっとしたら、今とは違った人生を歩んでいるだろう。ただ、人生をやり直すことが出来ないように、今まで味わってきた苦難の時代を乗り越えられたからこそ、今の自分が存在している。

 だから、無意味に過去を振り返るよりも、1年前の自分と比べて、成長出来ていれば、それだけで幸せなことだといえる。これからも、日々、成長できるように頑張って行きたい。

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言葉の力

 視点を変えるということは大事である。

 分かりやすく言うと、少し角度を変えるだけで、まるで目の前に霧が消えるかのように、問題を解決できる。よく、言われるのが、ボトルに入っているドリンクが半分の状態であるとする。そこで、後、半分も残っているという認識と、もう、半分しか残っていないといった具合である。

 ここにおいて、重要なのは、半分も残っているのと、半分しか残っていないといった状態である。どちらとも、ドリンクは半分残っているということは事実である。それでは、どちらがいい印象を持つのかという観点で考えると、個人的な見解ではあるが、半分も残っているということに関して、いささかの希望を持てる。

 働いていれば、辛いことや苦しいこともあるだろう。そういった状態に陥った場合は、どれだけ、前向きな言葉に置き換えることが出来るのかを、常に考えていれば、ひょっとしたら、解決できる問題になるかもしれない。

 この事例を参考にしてみると、やはり、視点を変えることは大事である。そして、そのことによって、言葉の力は偉大であるということもある。こういったことを鑑みると、常に、前向きな言葉を使って、少しだけ視点をずらしておくことは大事だということがわかる。

 こういったことを意識していけば、目の前に立ちふさぐ壁が現れたとしても、視点を変えることによって解決策が見つかる。且つ、前向きな言葉を武器にしていけば、困難だと思われた、壁を楽々とクリア出来たりする。

 もし、過去にさかのぼれるのならば、僕は、35歳の自分に対して、もう少し、視点を変えることが出来たり、言葉の力は偉大であるということを伝えたい。ひょっとしたら、今とは違った人生を歩んでいるだろう。ただ、人生をやり直すことが出来ないように、今まで味わってきた苦難の時代を乗り越えられたからこそ、今の自分が存在している。

 だから、無意味に過去を振り返るよりも、1年前の自分と比べて、成長出来ていれば、それだけで幸せなことだといえる。これからも、日々、成長できるように頑張って行きたい。

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似て非なるもの

 前向きに感がえるのと、楽観的になるというのは似て非なるものだ。

 物事を前向きにとらえられるというのは、今の状態から、どうすればより良い状態になるということを想定したうえである。一方、楽観的になるというのは、現状を受け止めきれなくて、今よりも、何とかなるといった他力本願的な要素が多く入る。

 さて、そのことを踏まえたうえで、人として成長できるのは、やはり、楽観的になるよりかは、前向きに物事を考えられる人のことを言うと、個人的には考えている。現状を踏まえて、尚且つ、自力で物事を解決するといった姿勢が大切である。

 高校時代の恩師に言われたのは、何とかなるという考え方は危険であり、何ともならないというのが現状であるといった言葉を、僕は胸に刻んで生きている。僕は、中・高校時代はバレー部で、キャプテンをしていた。

 その時に、教えられたのは、一つのプレーにとってみると、アドバイスを受けた時に、そのアドバイスを頭で理解したとしても、実践できなければ、それは、理解していないものと一緒だということである。

 当時は、理解しがたい考え方ではあった。しかし、実際に社会人として生きていく中で、やはり、先輩たちに教えられたことを、頭だけで理解したとしても、実際に自分が経験しないことには、身につかないことが多々あった。

 そして、今まで生きてきた中で、僕は様々なことを経験した。人によっては、そんな絶望的な人生を送っていると思われるかもしれない。決して、強がりではなく、僕はそういった人生を送ったからこそ、今の人生を送っているのである。

 時に、理不尽だと思えるような事実があったとしても、それらを生きてきたからこそ、得られた真実があるといったことは否めない。そして、大切な言葉はもっとある。一例をあげていきたいと思う。まずは、「他人と比べるな。過去の自分と比べよ」と「自分自身に同情するな」といった言葉である。

 一つ目の言葉は、額面通りである。他人と比べるのは愚の骨頂だ。それをするくらいならば、過去の自分と比べて、どれだけ成長出来ているかを考えることが建設的である。次の言葉は、自分自身に対して同情すると、それだけで、自己憐憫に陥り、自分自身を見失う可能性が高いからである。

 こういった、数々の名言を胸に刻み付けて生きていた方が、最も、人間として成長できると思う。これからも、僕はそういった言葉をもとにして人として成長出来ればいいと考えて生きていきたい。

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率直な意見としては

 今の自分が構成されているのは、色々と経験したからである。

 過去を振り返ってみると、決して順風満帆な人生を送っているとは言えない。学生時代には、初めての挫折を味わい、そして、大きな影響を落としているのは、35歳に重度のうつ病を患った。

 当時の僕は、仕事に行きたくても行けず、朝から悶々とした気持ちを感じていた。その感情をごまかすために、僕はお酒に逃避した。起床してからお酒を飲み、意識を失うまでお酒を飲んでいた。

 とても、素面でいられなかった。というのも、普通に暮らしていると、眠れない日々が続いているのも一因だったからである。それに加えて、自分自身と対峙することが怖かったからだ。

 あまりにも、刹那的な生き方をしていた。それから、まともにはたらけるようになったのは、躁鬱病を発症したから約10年以上もかかったのである。今は、躁鬱病の状態は落ち着いてはいるものの、精神安定剤と睡眠薬は手放さない現実がある。

 時間はかかったけれども、ようやく、まわりまわって、スタートラインに立てたといえる。それでも、まだまだ足りていない部分が多い。しかしながら、少し視点を変えてみれば、まだまだ、伸びしろがあるということだ。

 決して、悲観的になってはいけない。これから、どうやって生きていくのかということを第一に考えていき、目標を持っていきたいと思う。そうすることによって、さらに、人として成長できると思うからだ。

 人生100年時代になっている現代社会。その中で、いかに後悔を残すことのないようにしていきたいものである。人生を終える瞬間に、後悔はなしと笑いながら現世を去りたいものである。

 そうやって、考えてみればまだまだ、半世紀も残っているということである。現段階の率直な意見として心にゆとりを持っていき、些細なことは気にせずに、常に笑いの絶えないような生き方をしていきたい。

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外部記憶媒体

 お気に入りの音楽を聴きながらエッセイを書くのは気持ちがいい。

 僕にとっては、それが一番リラックスできる。今の時代、紙媒体に関して、遠慮する傾向が多い。例えば、ネットを使えば、簡単に情報を得られる。しかし、そのことによって、読書をするという習慣が薄れていく。

 今、48歳になるが、僕が小学生時代や、中学、高校時代は、何かしら、知識を得ようとすれば、本からの情報が頼りであった。そのおかげで、色々なことを、学べたように感じる。

 多感な学生時代、小説を読み漁っていた。それこそ、村上春樹のデビュー作から、今の時代になっても、新刊が出れば、読んでいる。それは、分かりやすく言うと、水を得た魚のようである。

 だから、社会人になっても、読書を続けていた。もちろん、自己啓発の本やら、心理学の本を読んで、知見を広げていった。その中で、お気に入りのフレーズがあれば、システム手帳に書き込んでいった。

 そのおかげで、僕にとってそのシステム手帳を読み返してみれば、いつでも、その当時のことを思い出すことが出来る。それは、まるで、USBに記録として残していくようなものである。

 外部記憶媒体として考えてみれば、ごく自然なことである。僕の持論としては、人によって、容量が決まっているのである。例えば、iPhoneで言うと、最初に、容量を決めて購入するようなものである。

 なので、常に、自分の中で情報を取捨選択しなければならない。無意味に、これは、必要な情報だと思っていても、詰め込みすぎたら、それこそ、容量が足らなくなる。それは、是非とも避けたいものである。

 もし、外部記憶媒体がなければ、情報量に圧倒されてしまう。自分にとって、不必要な情報は、忘れなければならない。今の若い世代は、コナンドイルの代表作である、シャーロックホームズが分からないかもしれない。

 その中で、僕はあるフレーズに共感を覚えたことがある。それは、助手のワトソン博士が、うんちくを語っていたときに、その情報がホームズにとっては新たな情報であったが、その情報は、自分にとって不必要なものだから、そのことを早く忘れなければならないといったセリフがある。

 やはり、その当時でも、記憶するという行為には限界があるということだ。パソコンのない時代でも、そういった思いがあるということだ。何に対しても、学ぼうという気持ちがなければ、必要な情報であったとしても、気づかずに素通りをしてしまう可能性がある。

 何も、読書だけからではなく、人気のテレビドラマからでも学べることはある。名作であればあるほど、いくつかの伏線がちりばめられながら、お気に入りのフレーズを見つけることが出来る。

 最後に、僕が感銘を受けたドラマの中で語られたフレーズがある。それを共有したいと思う。それは、「神様は乗り越えられる試練しか与えない」ということである。裏を返せば、決して、乗り越えられない試練はないということである。その意味をかみしめながら、僕は、これからも、生き続けていくだろう。

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表裏一体

 人生、どん底を味わうと這い上がるしかない。

 幸せというのは、当たり前のように続くと思われがちだが、実は、そうではない。幸せと、不幸は表裏一体である。ほんの些細なことにより、永遠にも続くと思われていた幸せといったものが、ガラガラと音を立てて崩れていく。

 親しくしていた友人たちは、一人、二人と、去っていくのである。それは、僕が事実として体験したことである。その上、眠れない日々が続く。当時の僕は、アルコール依存症だったので、朝から、多量の酒を摂取して、素面のときがほとんどなかった状態である。

 精神的にも追いつめられ、酒の影響でまともな判断が出来ていない状態である。そんな、刹那的な生き方をしていても、何も、得ることはない。それどころか、失うばかりである。そんな明白なことすら気づくことなく生きてきた。

 それでも、人生のどん底を何年も過ごすうちに、やがて、気づきの時が訪れる。このままでは駄目だということであるだ。そして、徐々にではあるが、生きていく目的を持てるようになった。

 最初は、ぎこちない生き方だった。しかし、何事も挑戦していくことによって、日々の成長を感じることが出来た。それからは、夢を持って、生きている。現在の僕は、夢に向かって努力をしている。

 ひょっとしたら、まだ結果は出ていない。ただ、どうすれば、夢を体現できるのかを考えて行動を起こしている。決して、ブレることのないように、頑張っていきたいものだ。それに加えて、目標も持たなければならない。

 というのも、生きていく中で、仕事をするという状況にある。ならば、仕事に対しても、目標を持って仕事に向かい合うという姿勢を持つことが重要である。決して、流れ作業をしてはいけないという心を持っていなければならない。これまた、日々の精進が大切だということも、大事だということを胸に刻んで生きたいものである。

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諦めない心

 歳を重ねるうちに、新しいことに挑戦するのが億劫になってくる。

 しかし、「Never to late」という言葉あるように、何事をするのにも、決して遅くはないということを、僕は、一つの座右の銘として、自分の胸に刻み込んでいる。何事も、挑戦なくして、成長はないと僕は考えている。

 挑戦し続けることによって、その結果、失敗したとしても、同じ過ちをしないことによって、成長することが出来る。その根底にあるのは、やはり、挑戦をするということが大事だということがわかる。

 例えば、パソコンを入力するときに、ブラインドタッチが出来るという状態であったとしたら、次に求められるのは、ミスタイプなしに、どれだけ早くタッチタイピングが出来るのかということを考えられる。

 それをするためには、日々の努力しかない。自分自身の中で、これが限界といったことがあるかもしれない。しかし、努力をし続けることによって、タッチタイピングのスピードが上がっていくだろう。

 こういったように、自分自身に対して、限界を設けることなく、日々、精進していけば、必ずや、結果は出てくるだろう。ひょっとしたら、目の前に大きな壁が立ちふさがったとしても、その壁に対して、真っ向から立ち向かうのか、それとも、視点を変えて、回り道をするのかは、自分自身の特性にかかわってくるだろう。

 この状態でやってはいけないことは、その前に立ちはばかる壁に対して、諦めてしまうことである。諦めてしまえば、そこで終わりである。行動を起こさずに、後悔するよりかは、行動を起こして、後悔するほうが、よりよい結果が得られるのである。

 だから、僕にとっては、挑戦せずに諦めるのは、愚の骨頂であると言わざるを得ない。挑戦し続けることによって、他人と比較することなく、過去の自分と比べることにより、1年前の自分と比べることによって、成長していくのがわかるであろう。

 過去の自分と比べて、現状維持という結果ならば、目的意識を持って、生きていると、必ずや、成長していることを感じられるだろう。僕は、そういった人になりたいと思うのであった。

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時代の波に乗り遅れないように

 日々、テクノロージーは進化し続けている。

 今では、スマホなどは当たり前である。しかし、時代をさかのぼって考えてみてみると、まずは、ガラケーと呼ばれる携帯電話が普及する前は、ポケットベルといったツールがあったことは、40代の人ならばわかるだろう。

 しかし、僕が、まだ、高校時代には、そういったツールがなかったので、友人と待ち合わせをして、相手が遅れた場合には、駅に掲示されている伝言板を使って、連絡を取り合っていた。

 そして、今の時代では考えられないことだが、意中の人に電話をするときには、自宅の固定電話にしなければならない。当然、その意中の人が電話口に出るという確約はない。ひょっとしたら、相手の父親が出るかもしれない。そういった、ドキドキ感があった。

 逆に考えてみると、簡単に連絡が取れなかったからこそ、相手に対して、待ち合わせの時間に対して、シビアだったと考えられる。だからといって、今の時代と比べて、昔の時代が良かったとは言えない。

 個人的には、今、SNSが普及している時代だからこそ、出来ることがあると考える。しかし、そこで、注意しなければならないのが、情報は、玉石混合だということである。何が、正しくてフェイクニュースなのかを見極めなければならない。

 情報があふれかえっている時代だからこそ、情報に対して敏感にならなければならない。それをするためには、この情報は、自分に対して必要なのかどうかを見極めるために、自分自身の価値観を大切にして、情報を収集していかないといけない。

 デジタルの時代が当たり前となっている昨今、その中でも、次々とテクノロジーが進化していく。その時代の波にも遅れないように、48歳にもなるオジサンは頑張ってついていきたいものだ。

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オンとオフ

 個人的な見解ではあるが、少しだけ聞いて欲しい。

 仕事の時と、オフの時には、きっちりと切り替えることが理想である。分かりやすく言うと、仕事の時は、几帳面で効率よく過ごすことが大事である。オフの時に、何をしていようが関係ないと考えている。

 例えば、僕なら仕事の時には、何故、この仕事をするのかということを、考えて、快適な解決方法を模索する。一方では、オフの時には、少しの時間だけ、仕事のことを考えて、後は、テレビ番組を見ながら過ごしている。

 だから、僕の仕事スタイルを見ている人は、当然のように、部屋も整理整頓がされていると思われがちだが、実際は、そうではなくて、まるで、ゴミ屋敷みたいなようなものである。

 仕事とオフとかギャップがあればあるほど、仕事が出来ると、僕は考えている。そして、自分一人で仕事を抱えることのないように、上手に、同僚や先輩などを頼って仕事をしていくことが大事である。

 一人で、こなせる仕事はたかがしれている。人間には、自分で処理できる容量が決まっている。だから、僕は、仕事の時には、必要最低限な情報しか仕入れない。というのも、先ほど述べたように、自分で処理できる容量が決まっているからだ。

 だから、ルーティンを守ることを決めている。そうすれば、何も考えることがないので、頭の容量が増えるからだ。なので、頭の中がスッキリとして処理能力が向上する。仕事のほとんどは、段取りで決まると言っても過言ではない。

 それを、意識していながら仕事をすることが大事である。それが、仕事に対して真摯に向き合うということが言えるのではなかろうか?僕は、そのことを意識していきながら、今日も働いていきたいものである。

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