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遥かなる高み

 会社の都合で、いきなり夜勤となった。

 週の半ばで、夜勤になるとは、肉体的にも精神的にも負担がかかる。まぁ、泣き言を言っても始まらないので、頑張るしかない。それにしても、今回の夜勤は眠たかった。眠気との闘いである。

 いつもなら、そういうことはない。やはり、いきなり夜勤に変わったから、身体と気持ちが対応できていないのだろう。正直に言えば、夜勤がないところで働きたかった。しかし、自分の年齢を考えると、なかなか難しいのが現状である。

 だから、一日でも早く、フリーランスとして働きたい。それでも、〆切前になると、徹夜が続くかもしれない。しかし、自己管理を徹底していけば、自分のペースで仕事を進められると思う。

 そういった生活を送りたい。ただし、仕事がない場合もあるかもしれない。そういった状態だけは避けたい。十分な収入を確保できるようになってから独立をしたいと考えている。

 このようなことを考えるのは、老後の心配があるからである。今のままでいけば、退職金もないので、仕事もなくなり、途方に暮れることになる。だから、切実に、フリーランスとして、きっちりと定期的な仕事があるようにしていきたい。

 それを、可能にするために、今の生活を大切にしていきたい。毎日、文章を書くことによって、今以上の文章力を上げていきたい。実力の底上げが必須となってくる。もっと、分かりやすい文章や、思わず、笑ってしまえるようなものを書いていきたい。

 もっと、話題を豊富にしなければならない。情報番組や、バラエティー番組に、ドラマなどから情報を抜粋して書いていきたいと考えている。他にも、映画を観たり、音楽を聴いたり、絵を描いたりして、感性を磨いていきたいと思っている。

 寝る暇を惜しんでいきたい。遥かなる高みを目指していきたい。そうすることによって、必ず、感受性が上がり、それを、活かしていきたいと考えている。重複するような言い回しをしないように、気をつけながら言葉を紡いでいきたい。

 成功するのは、ほんの一握りだろう。それでも、僕は、その一握りの枠に入れるようにしていかなければならない。才能の有無もあるが、それだけではない。血のにじむような努力をしていかないといけないのである。その先に見える景色は一体どういう風景なのかを楽しみにして、これから先の人生を送っていきたい。

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後ろ姿

 今日から夜勤が始まる。

 生活のリズムを整えるのが難しいけれど、何とかやっていきたいと思っている。今、働いている会社では、インフルエンザにかかっている人が多い。僕も、体調管理には気をつけて行動していきたい。

 あとは、精神的なコンディションも整えないといけない。忙しい日々を送る中で、どうやって、息抜きをしていくのかを考えていきたい。そうでないと、フィジカルとメンタル面のバランスが崩れてしまう。

 そうなってしまうと、会社を休みがちになるので、それだけは避けたいものである。いつも以上に、注意をしないといけない。クローズで働いているので、躁鬱病が悪化しないように心がけないといけない。

 普段は、躁鬱病を意識することなく働いている。しかし、ちょっとした加減で、バランスを崩すと、一気にガラガラと音を立てて、精神的に崩れてしまうもろさがある。そのことを、必要以上に気をつけないといけない。

 今のところは、有難いことに、精神的に落ち着いている。何かしら、目標があると、それに向けて努力出来るので、落ち込んでいる場合ではないと感じている。だから、今の、僕には、充実感を覚えている。

 何とか、頑張って自分の目標を達成したいと思う。そのための努力は惜しまないつもりである。今の時代、努力をするというのは、泥臭いと思われるかもしれないけれど、頑張れば、頑張った分だけ、結果はついてくる。

 それがあるからこそ、日々の努力が出来る。どんなに泥臭くてもいいから、自分の持つ目標に対して邁進していきたい。他人から何を言われてもいいので、僕は僕らしく生きていきたいと思う。

 そういう姿を、息子に対して、父親として、頑張っているんだということを、見せていきたい。父親らしいことは何も出来ていないけれど、それでも、僕は、頑張って行く姿を見せていきたい。

 そういったことも、僕が頑張れるモチベーションが上がるのである。今まで以上に、フィジカルとメンタルの面でバランスが取れている。この状態をキープしていきたいと思っている。さて、今日も、自分に負けずに頑張って行きたい。

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猪突猛進

 明日から、急遽昼勤から夜勤に変わった。

 そして、土曜日も休日出勤となった。今度の土曜日には心療内科を受診するので、夜勤明けで行けばいいのである。少し、誤算だったのは、コンタクトレンズも買わなくてはいけない。

 それに加えて、来週も夜勤が続くので体調管理には気をつけていきたい。頼りにされるのはいいけれども、何とも言えないのが正直なところである。明日は、午前中に洗濯をして、郵便局に行かないといけない。

 生活のリズムをとるのが難しいけれど、頑張って対応していきたい。今日は、夜中の2時半に目覚めて、それから眠れずにいた。4時前に、布団にもう一度入り、目をつむって疲労をとろうとしたけれども、いつの間にか、眠りに落ちていた。

 目覚めたのは、6時前。いつもならば、もう、起きてゆっくりとしている時間なのに、少しだけ寝坊をしてしまい、慌てて支度を済ませてから、いつも通りの出勤時間に何とか間に合った。

 今のうちに、稼がないといけない。バイクも購入しないといけないから。だから、稼げるうちに稼がなければならない。そして、この調子で頑張って行けば、会社内での評価も上がるだろう。

 この努力がいつの日か結ばれる日が来るだろう。だから、今、目の前にあることを精一杯、やっていくしかないのである。今年は、年男なので、猪突猛進でやっていきたい。さて、明日からも頑張って行こうと思う。

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幸せっていうのは

 幸せっていうのは、身近なところにあるのかもしれない。

 自分自身が気づいていないだけで、幸せは、そこら中に満ち溢れていると思う。ほんの些細な出来事に、幸せはひそんでいるのである。例えば、立ち食いそば屋などで、店員さんの対応が良かったなら、それだけで、幸せを感じとることが出来る。

 思いもしらないうちに、僕たちは幸せを見逃しているのかもしれない。それは、とても気づきにくいことがあるからである。だから、自分自身が不幸だと思っていても、実際は、気づいていないだけで、幸せはひっそりとひそんでいる。

 人は、自分が多少なりとも、不幸を抱えていると感じている。実は、それは、勘違いである。実際には、幸せはその人の上に降り注いでいる。ひょっとしたら、それは、他愛もないことなのかもしれない。

 あまりにも、普通なことなので、見逃すことが多い。それに、気づくのは、注意深く生きていかなければならない。今、不幸だと思っていても、そうではない。生きていく中で、絶望を感じていたとしても、ほんの一瞬でもいいから、幸せを感じとることが出来れば、それだけで、生きている価値はあると思う。

 たとえ、自分の人生は不幸の連続が起きていると感じていたとしても、神様は、それほど非常ではない。乗り越えられる試練しか与えないのである。なので、不幸のどん底にいたとしても、それは、長い人生の中では、一瞬の出来事である。

 たとえ、不幸の真っただ中でも、必ず、その壁を乗り越えられる。その中で、小さな幸せがひそんでいる。それに、気づくかどうかが問題となっている。それを、大切にしていきながらやっていけば良いのである。

 ほんの少しだけでも、幸せを気づくことが重要となってくる。ステレオタイプな幸せとは違う。喩え、お金をたくさん持っていても、幸せとは言えない。逆に、お金がなくても、ほんの些細なことでも幸せを感じとることが出来る。

 一見、矛盾しているのかもしれないが、些細な幸せを感じとることが出来れば、それだけで、幸せになれると、僕は思っている。これから先、何が起きようとも、幸せを感じとる感性を磨いていきたいと思う。そうすれば、必ず、良いことが続くように思えるから。

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道は開ける

 創作活動をするのには、一人だけでは出来ない。

 何かしら、人と接することをしないと、自分だけの世界に引きこもりベストなパフォーマンスが発揮出来ない。それは、人と接することによって、自分自身の殻を破ることを意識しなければならない。

 何かしら、刺激がないと、いい作品は出来ない。それは、人と接することによって、閃きがインスパイアされる。例えば、化学薬品のように、多数の組み合わせによって、新たな発見があるかのように、今まで見たことのない化学薬品が産まれるのである。

 それを、創作活動に変換すると、自分の価値観と、他人との価値観の相違によって、自分自身に、取り込んでいき、新たなる視点で物事を見られることが出来るのである。それによって、今までとは違ったテイストで書くことが出来る。

 だから、一人で過ごす時間も大切ではあるが、人との触れ合いによって、より、クオリティが高い作品が出来上がる。そうすることによって、相乗効果が期待出来る。なので、今年は、自分から他人に対して意識して話しかけるようにしていきたい。

 今まで、人見知りをしていたので、それを、変えていきたい。僕にとっては、大きな壁ではあるが、それを打開していきたい。今以上の、作品を創作していきたい。そうするためには、自分自身から、変わらなければならない。

 50を目前にして、今更、変えられることは難しいとは言われている。それでも、自分自身を変えないことには、何も、進歩が出来ない。不可能だと思えば、そこで、終わりである。

 諦めたら、そこで試合終了なので、最後まで諦めることなく、努力をしていきたい。どんなに、泥くさくても頑張っていきたい。とにかく、最後まで自分自身の創作活動を変えていきたい。

 これから先、文章を書き続けていき、成長することを願ってやまない。なぜなら、新たな、自分自身と向き合えることが出来るからである。常に、成長することを意識しながら、やっていければと考えている。

 常に、前へと進んでいきたい。それが、僕にとって成長する意味になるのだから。向上心を持っていきたい。最終的に、僕のためになるのだから。諦めなければ、必ず道は開けるのだから。

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覚悟があるかないか

 やっと、夜勤が終わった。

 非常にタイトな仕事であった。正直に言うと、疲れ果てている。ホッとしているし、充実感を抱いている。そのうえ、疲れてはいるものの、どこか、心地よい感覚がある。やはり、人は働いていた方が精神的にも落ち着く。

 今は、リラックスした状態である。夜勤明けで帰ってきても、どこか、緊張感は続いている。早く寝ないと寝坊をしたりするのではないのかといったことが頭によぎるからである。

 今日は、そんな心配をすることなく、好きなように時間を使っていきたいと思う。テレビを見たり、音楽を聴いたりして、一週間の疲労をとろうと考えている。こういう時には、頭の中を空っぽにして、何も考えることをしないようにしている。

 そうすることによって、リフレッシュが出来るからである。そして、明日から頑張ろうと思える。車に例えると、メンテナンスをして、車の状態を最高に保つようなものである。
要するに、心と体のバランスを整えるということである。

 僕は、躁鬱病なので、心と体のバランスを整える作業というのは、とても大事なものである。どちらが欠けても駄目である。非常に危険だ。アンバランスな状態が続くと、仕事にも影響が出る。

 もちろん、仕事だけでなく私生活の面でも支障が出てくる。何もする気が起きなくなり、食事もとらずに、ただただ、寝てばかりいる状態が続く。しかし、今のところは、心と体のバランスはうまくいっている。

 多少、睡眠不足気味ではあるが、それでも、やりたいことが山ほどあるので、多少、睡眠時間を削ってでも平気である。中島らもやさくらももこのエッセイも読みたいし、DVD鑑賞もしたい。時間がいくらあっても足りない。

 やりたいことがあるというのは、本当に幸せなことである。それは、心と体のバランスが、上手くとれているからである。数年前だと考えられなかったことである。常に、何かにおびえながら、生活をしていた。

 躁鬱病の状態が悪かったころは、働きたくても働けない状態が続いていて、生活保護を受けていた。確かに、その当時でもやりたいことはあった。それは、一貫して文章を書く仕事をしたいという気持ちである。

しかし、実際は文章を書く仕事には就けていない。しかし、エッセイ集を販売するので、これが、きっかけとなり、雑誌の連載や、単行本の発刊など、書くことによって生計を立てたいと考えている。

 こういった目標があったからこそ、躁鬱病に負けず、働くことが出来ている。何年かかろうが、文章を書き続けていき、生活を送っていきたい。そのためには、どんな苦労もいとわない覚悟がある。最終的には、覚悟があるかないかの問題ではないのかと思っている。ひょっとすると、人生ってそんなものかもしれないな。

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適材適所

 何事にも、適材適所がある。

 今の仕事は、前の仕事と比べると格段に違う。何が違うのかというと、ほとんど、一人作業である。社交的ではない僕にとっては、うってつけの仕事である。基本的に、一人で作業をするのが得意である。

 こうして、文章を書くのも一人作業である。もちろん、会社での全体目標に沿って、仕事をしなければならないけれど、自分のペースで物事を進めることが出来る。こうして、ほぼ毎日、文章を書くのも時間との闘いである。

 昼勤ならば、朝、4時半に起きてから、構想を練って言葉を紡いでいく。最低でも、1時間はかかる。何も、書く材料がないと、時間との勝負になってくる。6時20分には、自宅を出ないといけない。

 そこから逆算すると、大体1時間半が文章を書ける最大の時間である。夜勤明けでも書く時間を考えると、おなじくらいになる。シャワーを浴びてから、1時間くらいドラマを見て、そこから眠るために睡眠薬を服用する。

 それでも、好きこそなんとやらである。好きだからこそ続けることが出来る。喩え、それが、何も、構想が寝られないときにでもあってもだ。書けないときでも、自分で体験したことや、面白かったことを思い出しながら書いていくと、自然と筆が進むのである。

 やはり、僕には自分のペースで出来るものでないと、長くは続かない。前の職場は、他人との兼ね合いを考えながらしないといけなかった。自分なりに気を配っていても、それが通じないところがあったので、休みがちになってしまったのである。

 今の職場ではそれがないのが休まずに行けている大きな要因である。この先も、特別なことがない限り休むことはないだろう。体調管理にも気をつけている。風邪をひかないように、手洗いとうがいは忘れることなく行っている。

 今の職場には食堂があり、夜勤でも対応してくれているのでありがたい。値段も格安だし、それに加えて、野菜などの一品がついてくるので、青汁と併用していけば、野菜不足にならずに済む。

 エッセイの書下ろしも、順調に進んでいる。これならば、10月の出版には間に合うと考えている。一体、どんなエッセイ集になるのか、自分でも楽しみである。何をするにしても、楽しみながらすることが一番大切である。仕事も同様に楽しんでしている。

 ケチケチ生活も、楽しみながらしている。今日は、今までとは違いこれだけお金が残ったということを考えると嬉しいものである。ある種の達成感みたいなものを覚える。あとは、一か月でどれだけ貯蓄出来るのかを計算しながら使っていければと思っている。昨日も書いたように、無駄遣いをやめたおかげで、使うお金が少なくなってきているので、陰でほくそ笑むのである。この抱いている感情を大事にしていければと思っている。

 これから先は、自分次第で何とかなるものである。さて、今日、夜勤に行けば、土日は休みになるので、それを楽しみにして今日も頑張って行こうと思うのであった。

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自戒を込めて

 冬の夜勤は体の芯から冷える。

 重ね着をして防寒対策をしてはいるものの、それでも、真夜中や明け方は、特に冷え込む。やはり、ユニクロのヒートテックを購入しないといけないなとは思っているものの、僕の財布も、これまた、違った意味で寒いものがある。

 去年まで働いていたところは寮だったので、家賃はいらず、光熱費は電気代だけだったので、いざ、ワンルームマンションを借りて、家賃や光熱費がもろにかかってくる。だから、無駄遣いは極力避けて貯蓄をしないといけない。

 そうは、分かっていても、ついつい使ってしまう僕がいる。休憩ごとにホットドリンクを買ってしまう。値段は、¥110だけれども、塵も積もれば山となるように、どんどんとお金が出ていく。

 しかも、ついつい、立ち食いそばで月見そばを食べるのが習慣になってしまう。その値段は、¥340である。それだけでも、一日、軽く¥1000以上は使ってしまう。だから、今日からは、贅沢をやめて、ホットドリンクを買うのを抑えて、工場に設置されている、無料のお茶があるので、それを活用していきたい。

 それだけでも、大分、節約になる。それくらいしないと、お金はたまらない。それにしても、光熱費を出来るだけ安く抑えないといけないのだが、寒いので起きているときは、エアコンをつけっぱなしにしている。これも、何か対策を講じないといけない。

 来月の電気代が怖い。約半月くらいは、ほぼ一日中エアコンをつけていたのだから。食事も、自炊をすればいいのだけれど、仕事から帰って作る気力が残っていない。だからといって、立ち食いそば屋やコンビニの弁当だけでは栄養は偏る。

 分かってはいるものの、それが出来ていないのが現状である。諸悪の根源は、自分自身のだらしなさである。もっと、自分自身に厳しくしていかないと意味がない。とはいえ、冷蔵庫は、備え付けのミニサイズのものである。

 入っているのは、使っていない調味料だけである。ミネラルウォーターの2リットルサイズもギリギリ入る程度のお粗末なものである。せめて、食パンくらいは買っておこうと考えている。

 そんなことを考えると、共働きで働いている主婦の皆さんには頭が下がる。疲れている身体に鞭を打って家事や炊事などをしている。僕も、それを、見習わないといけない。そうこうしているうちに、眠らなければならない時間を迎えてしまうのである。いくら残業しても、簡単な調理だけでもいいからしないといけないと自戒を込めて誓うのである。

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因果応報

 ろくでもない人生を送っている。

 それでも、ある時期には幸せを感じていた。愛する女性と結婚して、息子も産まれた。結婚している時期は好き勝手なことをしていた。ただ、僕は彼女を愛してはいたものの、残念ながら、僕は、結婚というのには向いていなかったことである。

 だから、もう二度と結婚はしないだろう。ただ、恋をしてときめきを感じたいという気持ちはある。もしかしたら、再婚を考える相手に巡り合うかもしれない。矛盾しているが、そんな感情を抱いている自分がいることは確かである。

 まぁ、今の暮らしの中では、そういう相手には巡り合うことはない。もう、二度と、真剣に誰かを愛するということは出来ないと思っている。恋をすることはあったとしても、それ以上の関係にはならないだろう。

 誰かを愛するということは、その相手を守り切らなければならない。そんな強さは、僕にはなかったのである。この先も、そんな強さを持ち合わせることは出来ないかもしれない。

 ただ、残された、この人生を送っていく中で、かつて愛した以上の感情を抱くのであれば、全力で守るだろう。それくらいの強さを持ち合わせなければならないことを踏まえての話にはなるが。

 しかしながら、息子が一人立ちしてからになるだろう。父親らしいことをしていないが、それでも、僕は、息子を心の底から大事にしている。僕にとってかけがいのない存在であるから。

 別れた妻にも、幸せになって欲しい。自分の幸せなんてものは後回しでいい。この先、何も起こらなかったとしても、それはそれで構わない。若い頃、好き勝手な生き方をしてきたから。因果応報という言葉があるように、今、僕は、その報いを受けているのだろうと考えている。

 だから、人恋しくなったとしても、孤独が僕を覆い隠す。そこから、這い出るのはたやすいことではない。自分一人で生きていくと決めた以上、誰にも迷惑をかけないようにしていきたいのが正直な気持ちである。

 しかしながら、人は生きていく上で、誰かに対して迷惑をかけているのも事実である。迷惑をかけないといった現実は、決して桃源郷みたいな世界ではない。ならば、出来るだけ迷惑をかけずにひっそりと暮らすしかない。

 それでも、誰かを傷つけたり、傷つけられたりの繰り返しが人生なのである。そんなことがあるから、生きていくのは、億劫であったり、勇気づけられたりするものだ。それを、胸に刻み付けて、今後の人生を送っていきたい。

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地獄の深淵

 本当の優しさって何だろう?

 優しい言葉をかけることだけなのだろうか?例えば、その人のことを思うがゆえに敢えて厳しい言葉をかけるのも優しさの一つの形態ともいえる。健常者や僕みたいに躁鬱病を患っている人だろうが、そんなものは関係ない。

 ただ、弱音を吐いているのであれば、僕は、厳しく接する。それは、自分自身が経験しているからである。ただただ、弱音を吐いていた時期もあるのは確かである。しかし、相談相手から、思ってもいなかった言葉をかけられることもある。

 それは、とても辛辣であった。しかし、弱音を吐いてただ甘えているだけだと自覚したときに、それ以来、僕は弱音を吐くのをやめた。自分自身に同情して、自分の聞きたい言葉だけを待っていても、そんなものは、誰も言ってくれない。

 その友達が言ってくれたことが、事実であるということを改めて気づく時期が来る。それまでは、どうして、僕の気持ちを理解してくれないのだろうという思いが強く、自己憐憫に浸って、自己逃避を行う。

 その繰り返しが続く。しかし、自分自身に対して、正直になり、他人のアドバイスを素直に聞いていく。確かに、その過程では、自分自身との戦いでもある。その戦いに勝たなければ、いつまでたっても、成長はしない。

 人は、本当の優しさに気づけば、厳しいアドバイスも、僕のために言ってくれたものだと改めて気づくのである。そのことを認めるのは、自分自身が持っているくだらないプライドを捨てないといけない。

 そこからが、自分自身と対峙して、自分の持っている弱さを確認して、向き合わないといけない。それは、苦痛ではあるが、それなくしては、前へと進まない。何事も、前向きに生きなければならないということではない。喩え、後ろ向きな自分がいたとしても、いずれは、前向きに物事を感じられることが出来る。

 明けない夜がないようなに、いつの日か必ず夜は明けるのである。そのことを信じて、生きていく必要がある。こんなことを言えるのは、僕が体験したことだからである。たまに、躁鬱病で苦しむことはあるが、それでも、病気のせいにはしない。それを言い出したら、言い訳ばかりになってしまうからである。

 そんなことばかりしていると、自分が惨めな気持ちになる。だから、言い訳はやめて、苦しくても、前へと進むだけである。それが、理想論や綺麗事を言っている人は、本当の地獄をみていないからである。地獄の深淵をさまよっているときには、何も見えないし聞こえない。

 ただ、この地獄から抜け出したいという強い気持ちがあれば、どんな辛辣なアドバイスでも受け入れられる。それは、そこから始まるからである。だから、今、地獄の深淵を彷徨っている人も、この人生から逃れられたいという強い気持ちがあれば、立ち直るきっかけになるだろう。それが、本当の優しさとなり得るのだから。

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